【22年9月10日】多数派の仰る個人尊重というのは前提が厳しいというお話

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私、利休はゴリゴリのHSPなのですが、運命のイタズラでゴリゴリの営業部署に配属されております。
同僚のみなさまはなんというか、、、非常にポジティブで明るい方が多いんですね。
なので、職場の雰囲気は良いと思いますし、ブラックでは決してないんです。
こういった雰囲気良い職場の特徴って「同志(似たような人)」で構成されていることが多いんですよね。
世間ではSDGsやらダイバーシティやら色々な言葉で個性尊重が声高に叫ばれております。
私の勤める会社は先ほどのような属性ですので、こういったことには飛びつきます。大好物。ぱくり。
で、どうなるかというと「個性尊重の時代です!みんな自分の思うことを発言し、自由闊達な職場にしよう!会議では全員からざっくばらんな意見を言う時間を設けて、風通しの良い職場にしていこう!」って、なるんです。
もちろん、素晴らしいことです。何も間違ったことなんて言ってない。
でもね。。。その「自由」と言うのは、共感できる”同志”が前提の自由なんです。
例えば「思うことを発言しよう」と言いますが、発言をしない自由が認められてないんですよね。
人の意見をじっくり聴いて、自分の意見と重ね合わせて、その中での最適解を求めていく、という思想の人たちだっているんですよ。
そういう話をすると「じゃあ、それを言ってよ!遠慮しないで!」とか白い歯をキラっとさせながら仰るのですが、話すタイミングぐらい選ばせてよ、、、ってのが本音なんですよね。
非HSPの方たちの思想って、HSPの人は我慢をしている、HSPの人も非HSPになりたいと思ってる、という前提なんです。そしてHSPにはその前提がとても辛いんです。なぜなら、その言葉に悪意が全くないのがわかるので、それを否定することができないから。
みんな辿り着きたいところは一つじゃないよ、ってお話でした。
ではまた。

Rikyu

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